
昭和 30 年 | 山梨県立甲府工業高等学校を卒業単身大阪へ カバンひとつ背負い、母が握らせた僅かな餞別を片手に夜汽車で来阪。 メリヤス工場勤務 守口市にて勤務。独立事業へ野望の芽生えは入社後一ヶ月で。決意したのもこの時期。 |
39 年 | 現社長夫人と結婚 結婚を機に独立自営業の世界へ。 |
41年 | 自動車修理工場開業 大東市にて開業。夫婦で昼夜寝ずの協同作業の中、自ら修理したダンプ・重機・機材を使い土木業への介入開始。 昼は土木運搬業、夜は修理業の睡眠二時間時代。 |
44 年 | 飯田商店開業 大東市 にて土木建材業を主に本格的な土木業界への介入開始。昼夜に渡る無休の営業。土木業への一本化。 |
48 年 | 一般建設業許可取得 健康状態の悪化。「我が辞書につらい・苦しい・痛いの文字は無し」土木業界での基盤確立。 |
50 年 | 飯田建設工業(株)設立 民間建設・建築工事、公共工事受注の拡大計画。 |
58 年 | 胃がん発症緊急手術 胃の摘出をする。退院翌日には現場で重機に乗る。 糖尿病発症 健康状態のさらなる悪化。脚気・高血圧等の合併症状悪化。松葉杖で現場に出る。 |
平成 3 年 | 急性心筋梗塞 救急にて運ばれる。生死の境目を体験。緊急心臓バイパス手術にて一命をとりとめる。 |
4 年 | 産業廃棄物処理業界への展開 糖尿病悪化 インシュリン投与開始 建設副産物再生事業へ業務拡大計画開始 |
7 年 | 建設副産物事業部開始 東大阪市にて再生プラント工場・建設副産物事業部設立。 がれき類の産業廃棄物中間処理許可取得。 |
8 年 | 特定建設業許可取得 受注工事件数の拡大計画。 燃料系事業・資源再利用プラント計画。 |
10 年 | 改良土生産事業開始 AR センター開設。 建設発生土再利用事業の開始 |
16 年 | 燃料系事業部開始 大東市にて再生プラント工場・燃料系事業部設立。 木くずの産業廃棄物中間処理許可取得。 |
19 年 | 難病 後縦靱帯骨化症 現場にて意識不明、一人倒れる。従業員の早期発見により緊急搬送、数ある持病の合併症から危篤状態。 二回目の生死の境目を体験。 難病の判明により、自足歩行は以後不可能の診断を覆し、驚異的な精神力にて独自に自力のリハビリを実施。 他に例のない奇跡的な早期回復で一年で車の運転も可能にする。 |
21年 | 胆石手術実施 燃料系・副産物事業部の新展開構想。 |
23 年 | 心臓カテーテル手術実施 民間工事を主に現在も土木現場にて指揮管理、新事業考案計画中。 8 種品目の産業廃棄物中間処理許可取得。 現在に至る。 |