| ▼社長の軌跡 | ▼土木・建設施工 

昭和 30 年 山梨県立甲府工業高等学校を卒業単身大阪へ
カバンひとつ背負い、母が握らせた僅かな餞別を片手に夜汽車で来阪。
メリヤス工場勤務
守口市にて勤務。独立事業へ野望の芽生えは入社後一ヶ月で。決意したのもこの時期。
39 年 現社長夫人と結婚
結婚を機に独立自営業の世界へ。
41年 自動車修理工場開業
大東市にて開業。夫婦で昼夜寝ずの協同作業の中、自ら修理したダンプ・重機・機材を使い土木業への介入開始。
昼は土木運搬業、夜は修理業の睡眠二時間時代。
44 年 飯田商店開業
大東市 にて土木建材業を主に本格的な土木業界への介入開始。昼夜に渡る無休の営業。土木業への一本化。
48 年 一般建設業許可取得
健康状態の悪化。「我が辞書につらい・苦しい・痛いの文字は無し」土木業界での基盤確立。
50 年 飯田建設工業(株)設立
民間建設・建築工事、公共工事受注の拡大計画。
58 年 胃がん発症緊急手術
胃の摘出をする。退院翌日には現場で重機に乗る。
糖尿病発症
健康状態のさらなる悪化。脚気・高血圧等の合併症状悪化。松葉杖で現場に出る。
平成 3 年 急性心筋梗塞
救急にて運ばれる。生死の境目を体験。緊急心臓バイパス手術にて一命をとりとめる。
4 年 産業廃棄物処理業界への展開
糖尿病悪化
インシュリン投与開始
建設副産物再生事業へ業務拡大計画開始
7 年 建設副産物事業部開始
東大阪市にて再生プラント工場・建設副産物事業部設立。
がれき類の産業廃棄物中間処理許可取得。
8 年 特定建設業許可取得
受注工事件数の拡大計画。 燃料系事業・資源再利用プラント計画。
10 年 改良土生産事業開始
AR センター開設
建設発生土再利用事業の開始
16 年 燃料系事業部開始
大東市にて再生プラント工場燃料系事業部設立。
木くずの産業廃棄物中間処理許可取得。 
19 年 難病 後縦靱帯骨化症
現場にて意識不明、一人倒れる。従業員の早期発見により緊急搬送、数ある持病の合併症から危篤状態。
二回目の生死の境目を体験。
難病の判明により、自足歩行は以後不可能の診断を覆し、驚異的な精神力にて独自に自力のリハビリを実施。
他に例のない奇跡的な早期回復で一年で車の運転も可能にする。
21年 胆石手術実施
燃料系・副産物事業部の新展開構想。
23 年 心臓カテーテル手術実施
民間工事を主に現在も土木現場にて指揮管理、新事業考案計画中。
8 種品目の産業廃棄物中間処理許可取得。
現在に至る。